東京高等裁判所 昭和42年(う)2833号 判決 1968年5月10日
主文
原判決を破棄する。
本件を前橋地方裁判所高崎支部に差し戻す。
理由
本件控訴の趣意は弁護人山田岩尾、同町田繁提出の各控訴趣意書記載のとおりであるから、ここにこれを引用する。これに対する当裁判所の判断は次のとおりである。
弁護人町田繁の控訴の趣意の第一点は、原審の訴訟手続には判決に影響を及ぼすことの明らかな法令の違反があると主張する。すなわち、原審は田村卯佐次および小沢喜代治の検察官に対する各供述調書(謄本)を刑事訴訟法第三百二十一条第一項第二号後段により取調べたうえ、これを原判決の証拠に引用して被告人に対する本件各公職選挙法違反の犯罪事実を認定した。しかしながら、検察官面前調書を右法条によって証拠とするためには、いわゆる特信性の要件が具備されていなければならず、そして、検察官面前調書が右の要件を具備するためには、公判期日において原供述者を証人として尋問するに際し、右検察官面前調書記載の同人の供述について被告人および弁護人に十分反対尋問をさせる必要がある。しかるに、検察官は前記各検察官面前調書の供述者である前記田村および小沢を原審において証人として尋問するに際し、事前に右調書を弁護人に閲覧する機会を与えることなく、しかも右田村らが右証言を終って退廷した後に及んで、突如として、弁護人が予感しなかった内容の右田村らの供述を記載した前記各検察官面前調書を前示法条により取調べることを請求し、原裁判所も漫然検察官の右請求を許容してこれを取調べた。しかし、これでは右田村らに対する被告人の反対尋問権は十分保障されているとはいわれず、右各検察官調書について適法な証拠調がなされたともいえないのであるから、右各調書には前記法条による証拠能力は認められないものである。それ故、原審がこれを採ってもって被告人に対する有罪認定の証拠としたのは、その訴訟手続が法令に違反したものというべく、しかも右各調書は右有罪認定の有力な証拠とされているのであるから、右違反は判決に影響を及ぼすことが明らかであり、原判決は破棄を免れないというのである。
よって、右所論に徴して記録を調査するに、以下の事実が認められる。すなわち、本件公訴事実は、「被告人は、昭和四十二年四月十五日施行の群馬県議会議員選挙に際し、甘楽郡から立候補した飯塚仁作の出納責任者であるが、同選挙の選挙運動者である飯塚久夫と共謀のうえ、同候補に当選を得しめる目的をもって、同候補の選挙運動者小沢喜代治に対し、投票および投票取りまとめ等の選挙運動を依頼し、その報酬ならびに費用として、いずれも群馬県甘楽郡甘楽町大字白倉六百四十四番地の同人方において、(一)同月八日ごろ現金四千六百円位(二)同月十日ごろ現金一万三千円位(三)同月十一日ごろ現金二千七百五十円位を各供与したものである。」というにあるところ、これに対し、被告人並びにその弁護人は、原審公判廷において、その(一)および(三)の各事実については、金員供与の外形的事実そのものを否認するとともに、(二)の事実については金員の趣旨および金額を争い、他方、検察官は右公訴事実の立証方法として、右各争点に関係する事項については直接証人によることとし、原審第一回公判廷において、弁護人指摘の原審証人田村卯佐次、同小沢喜代次の外、原審証人飯塚久夫ら四名についても取調の請求を行った。よって原審裁判所は同日いずれもこれを取調べる旨の証拠決定をなしたうえ、同決定に基づき、原審第二回公判廷において右証人のうち田村卯佐次および飯塚久夫外二名を、同第三回公判廷において同小沢喜代治外一名をそれぞれ取調べたところ、その後の同第四回公判期日に至り、検察官は刑事訴訟法第三百二十一条第一項第二号後段による証拠として右証人田村卯佐次、同小沢喜代治および同飯塚久夫の検察官に対する各供述調書の取調を請求するに至り(但し、右飯塚久夫の昭和四十二年五月四日付調書については原審第一回公判廷において別途同意書面として請求、取調済)、弁護人はこれに対し、右三名の証人に対しては十分な反対尋問ができなかったから、同人らの右各検察官面前調書には前示法条による証拠能力はないとしてその取調に反対し、更に右各証人に対する反対尋問を十分に行うため必要であるとしてその再喚問を請求した。しかし、原審は同日直ちに右各検察官面前調書を前示法条による証拠として取調べる一方、弁護人の右各証人再喚問の請求については、一旦決定を留保した末、原審第六回公判廷に至り結局これを却下したうえ、右各検察官面前調書を採ってもって証拠となし、被告人に対し前記本件公訴事実と同旨の犯罪事実を認定したものであることが窺知できる。
ところで、最高裁判所昭和二九年(あ)第一一六四号同三十年一月十一日第三小法廷判決は、検察官面前調書の証拠調が、その供述者を証人として尋問した公判期日の後の公判期日に行われたからといって、憲法第三十七条第二項の保障する被告人らの反対尋問権を奪ったことにならないことは既に最高裁判所大法廷判例の趣旨とするところであるところ、しかも、本件における主要な争点や、検察官に対する供述の任意性の有無については、既に先の証人尋問に際し、反対尋問権行使の機会が与えられているに止まらず、記録に徴すると十分に反対尋問が行われている(中略)以上、証拠調手続が違法となるの理はなく、更に第一審裁判所がこれら証人の再尋問の請求を却下したからといって、先に適法になされた証拠調が遡って不適法になる理由もないと説示している。当裁判所の見解もこれと同一であるが、その趣旨とするところは、当事者は刑事訴訟法第二百九十九条により予め相手方の手中にある供述調書の内容を知る機会を与えられているのであるし、先の証人尋問の際、同人の検察官面前調書についても十分に反対尋問の機会があったのだから、右調書の取調後に更に証人尋問の機会を与えなくても憲法第三十七条第二項に反するとはいえず、右検察官面前調書の取調手続が違法となるものではないということにあり、前示最高裁判所判決も同趣旨に出たものと解される。
ところで飜って本件につき、記録に基づいて原審公判審理の経過を考察するに、前段説示のとおり、本件においては、検察官は立証方法として弁護人指摘の田村卯佐次、小沢喜代治の検察官面前調書の取調を先ず請求することなく、直接同人らを証人として申請したものであり、また、右証人に対する検察官の主尋問も、これに対する弁護人の反対尋問も、ともにその内容は専ら被告人の本件金銭供与の事実の有無、右金銭の趣旨およびその金額等、被告人の本件犯罪の成否に関する事項に終始し、右証人らの検察官面前調書に関連した問答としては、僅かに証人小沢喜代治の尋問調書中に、検察官の「証人が述べている金額は、警察や検察庁で調べを受けた時と違って来ているがどうしてか。」との質問に対し、証人は「黙して答えない。」旨の記載が見受けられる程度に過ぎないのであって、右の程度の問答をもってしては、未だ右証人の検察官面前調書の内容を弁護人に知る機会を与えたというに足りないから、結局右証人尋問においては、証人の検察官に対する従前の供述について、弁護人に反対尋問の機会を与えたものと認めることができない。原審はそのうえ、弁護人が右反対尋問のため請求した右証人らの再喚問の申出をも却下したのであるから、原審の右検察官面前調書の取調手続は、証人に対する被告人らの反対尋問権を保障した憲法第三十七条第二項の規定に違反した疑いがあり、延いては、右調書に記載された証人の検察官に対する供述が果して任意性を有するものなりや否や、また、右供述に刑事訴訟法第三百二十一条第一項第二号後段にいわゆる信用すべき特別の情況を認めうるや否やの点につき、供述者に対する原審の右証人尋問の結果によって明らかにすることはできず、その他右検察官に対する供述の内容自体もしくは本件のその余の証拠をもってしても、右の点を確認するに足りない。それ故、右供述を記載した田村卯佐次および小沢喜代治の各検察官面前調書には、いずれについても刑事訴訟法第三百二十一条第一項第二号後段による証拠能力を認めることができない。しかるに、原審が右各検察官面前調書に証拠能力ありとして、これを採ってもって被告人に対し原判示犯罪事実認定の証拠としたのは、その訴訟手続が右法条に違反したものというべきである。而して、以上の点は、同意書面として取調済の昭和四十二年五月四日付調書を除く飯塚久夫の検察官面前調書についても同様に認められるのであるから、同人のこれらの調書についても証拠能力は認められないといわなければならない。そして、右田村卯佐次、小沢喜代治および飯塚久夫の右各検察官面前調書に証拠能力がない以上、これを除く他の証拠のみによっては被告人に対する原判示犯罪事実は結局これを認め難いのであるから、右訴訟手続の法令違反は判決に影響を及ぼすことが明らかであり、右論旨は理由があるものというべく、弁護人のその余の控訴趣意に対する判断を待つまでもなく、原判決は全部破棄を免れない。
よって、弁護人のその余の控訴趣意に対する判断を省略し、刑事訴訟法第三百九十七条第一項、第三百七十九条により原判決を破棄したうえ、同法第四百条本文により本件を前橋地方裁判所高崎支部に差し戻すこととし、主文のとおり判決する。
(裁判長判事 久永正勝 判事 津田正良 四ツ谷巌)